【ニュース】 都城市、国の文化審議会が同市内の「郡元西原遺跡」を国指定史跡「大島畠田遺跡」に追加指定し、名称変更するよう文部科学大臣に答申 宮崎県都城市

2024.06.26
都城市(池田宜永市長)は、2024年6月24日に国の文化審議会が
、同市郡元町に所在する「郡元西原遺跡(こおりもとにしばるいせき)」を国指定史跡「大島畠田遺跡(おおしまはたけだいせき)」に追加指定し、史跡の名称を「大島畠田遺跡 附 郡元西原遺跡(おおしまたはたけだいせき つけたり こおりもとにしばるいせき)」と変更するよう、文部科学大臣に答申したと発表した。

郡元西原遺跡は、11世紀後半から12世紀前半を主体とする領主居館跡。
平成28年度から令和元年度に同市教育委員会が実施した発掘調査の結果、大型と小型の溝状遺構で構成する一辺の長さ50~60mの方形区画と、その区画内の多数のピット(柱穴)群、4棟の掘立柱建物跡等が確認されている。

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都城盆地では、9世紀中頃から10世紀前半にかけて、集落形成と耕地開発が大きく進展。
この時期を代表する史跡が、同市金田町に所在する、地域開発を主導した富豪層の居宅跡とされる大島畠田遺跡だという。

10世紀後半以降、集落数は一時的に減少するが、11世紀後半以降
、低地の水田開発や台地上の畑など、区画に基づいた開発が進展し、集落数は再び増加。
郡元西原遺跡は、この開発の初源期における拠点的施設と位置付けられている。

大島畠田遺跡と郡元西原遺跡の両遺跡は、日本列島の南端にあって
、古代から中世へと変化する社会を具体的に示す貴重な遺跡であることが評価され、今回の答申につながったとしている。